特攻隊はスーサイドパイロットなのに、なんでピースミュージアムなんだ? と、ジムが到着間際にそう言ったので気分を害した私でしたが、上手く英語で説明できませんでした。 スーサイドボンバーとかスーサイド何とか? とかという言葉はテロリストに対して使うのものと認識している私。 これと、それとは全然違うんだけど・・・・・。ジムがどこまで特攻隊の事を理解しているのか? ちょっと不安に思いながらのスタートでした。
平和会館の展示物はとても見応えのあるものでした。 ’河野うさぎ‘ さんという友達の舞台公演『Mother 特攻の母 鳥濱トメ物語』を何度も観ていたので、知覧飛行場があった知覧という街が、ここ指宿から直ぐ近くだとしって、どうしても行ってみようと思ったわけです。
水中に爆撃され沈んだ戦闘機、ボロボロの姿で引き揚げられて展示されていました。 特攻前のパイロットたちの写真も大きなパネルになって展示されていました。 最年少は17歳。 微笑んだ顔はまだ少年の顔。
その青年達の母親代りとして慕われた、富屋食堂のトメさんの肉声がビデオで流れていて、あ〜〜うさぎさんの舞台に出てくるお話は、トメさんの証言にちゃんと沿って作られていたんだな〜。 と思い、改めて涙がでました。
それぞれの青年に、それぞれの大志があって死んでいった。
かたや、アメリカサイドから集められた資料や写真も展示の中にあったのです。 特攻隊がアメリカ空母に激突して空母が損傷した写真や犠牲者が艦上に並べられている写真もありました。
目が止まったのは、ある特攻機がアメリカ空母ミズーリに体当たりして、そのパイロットも艦上で戦死した時の写真。 その時のミズーリの指揮官がとった行動が素晴らしいのです。 艦上で戦死した日本兵を、ミズーリの乗組員が手作りの日の丸で覆い、手厚く水葬したのだそうです。
そんな事、できますか? あの当時、日本では鬼畜米英と教えられ、自分たちの領域で戦死した敵国の兵士をそこまで尊厳を持って扱う事ができたでしょうか? たぶん、NO?
この違いが日本とアメリカのスピリットの違いじゃないのか? と感じました。 キリスト教の教えも入っているのかもしれない・・。
長崎と広島に原爆を落とされて、日本は降伏の道を選ばざるを得なかった。 日本のミリタリーの根底にはサムライスピリットが息づいていて、原爆を落とされるまで、苦しくても降伏できずに多くの犠牲を出してしまった。
トメさんの証言で、誰一人、この戦争で日本は負ける・・・・と口に出した人はいなかったけれど、一人だけ、特攻隊のメンバーの一人がそうトメさんに言ったのだそうです。 負けると・・・・・。
本音と建前が違う。 それも日本のサムライスピリットから端を発しているのでしょうかね?
日本人のスピリットについて考える時間まだまだこの先、ありそうです。
私はこういう国で生まれ、育ったんだなって行く先々で感じています。
富屋食堂
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