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2025年3月9日日曜日

Pianoの発表会の為に日本へ

2025年3月、本当だったら3月17日に母が100歳の誕生日を迎えるはずでした。 2024年の3月に兄嫁と一緒に老人ホームを訪問。 3人でケーキを食べました。 来年は親戚を呼んで100歳の誕生日を祝おうね! と母と約束しました。

残念ながらその約束は実現できず、母は99歳の誕生日を迎えた3ヶ月後に天国に召されました。 

100歳の誕生日を祝うために絶対に日本に帰国します、と断言していたので、URAHAKU(私のピアノの先生が属する会社)の社長さんは、わざわざ3月にピアノの発表会のホールを予約してくださったのです。

ときは流れて、2025年3月。 

母を訪問する事のなくなった一時帰国は結構時間があるのです。 今までだと2週間の滞在中、最低でも3回は母に会いに行ってましたから。 今回はレンタカーを借りて一日は伊勢原へお墓参りしました。 父と母2人が墓石の下に眠っているのかと思うと、今までとちょっと気分が違います。 お線香に火をつけ、雪が残る伊勢原を後に、思い出深いお蕎麦屋さんでランチをして帰りました。 

歯医者さんでチェックアップ、お墓参り、この2つはいつもの一時帰国のルーティンです。 それらが終わると、結構時間があるな〜。
ですが、コロナに罹ったり、ノロウィルスにやられたり・・・・・。 一時帰国で辛い目にあった経験から、2週間の滞在期間をびっしり予定を入れる事にかなり抵抗があるのです。 びっしりにはしない。 体調が良ければ、その場でスケジュールを埋める、というスタンスで臨みました。 案の定、2週間のうち最後の2日間は疲労困憊状態で、友達と会うのもちょっと躊躇する程に疲れていました。 これってもしかしたらコロナの初期症状かな? って思った程でした。 そう、コロナ陽性が出るのは疲労困憊状態から3〜4日経ってから、と言う経験をしましたから。 身体中が硬直して、節々が痛くなり、呼吸が浅くなって熱はないけれどもう動きたくない・・・。 こういう状態は赤信号。

幸い、ただの疲労だったようです。 サントリーホール、ブルーローズでの演奏会はものすご〜〜〜い緊張感を味わいます。 脳も身体も全部です。 今回、まだビデオを見ていないので、どういう結果だったのかわからないのですが、前回よりは良かったかな〜。
弾き始めは良し! いける、良い感じ。 と思ったのですが、だんだん緊張感が増してきて、途中、いつも絶対に間違えないところで、指がもつれたり・・・・・。

終了後は先生方と写真撮影したりした後、懇親会へ向かいました。 後から参加した先生と奥様である社長も参加してくださって、会は大盛り上がり。 先生のお隣に座った私は、股関節が痛いので5月に手術する事になりましたって先生に報告。 すると、先生が物凄くびっくりした顔をしたのです。 「右の足についてアドバイスシートに書こうと思ったところです!」 と。 つまり、先生は私の演奏姿を見ただけで、右足が何かおかしいって分かった、って言うことです。 股関節が右の足首、右の肩甲骨、右の肋骨、全て繋がっていて、それが上手く使えていない事を先生は指摘しようと思った、と言うのです。 

5月8日の手術の後、私の身体がどう変わって、どうピアノ演奏が変わるのか、楽しみです。






2024年6月29日土曜日

母が永眠いたしました

グリーンカードが手元に届いたというブログを書いたのが6月11日でした。 
この日の夜、ディナーを終えたジムと私はリビングで映画を観ていました。 なぜだか手元にiPadがあってラインのメッセージがポンと飛び込んで来たのです。

姉からのメッセージで「お母さんが亡くなった」と。

悲鳴に似た声をあげた私。 震えてました。 あまりに突然だったので。 

老人ホームから連絡が来て今兄が駆けつけていると・・・・。


ジムは直ぐに映画をストップして私の側に駆け寄って肩を抱いてくれました。 
私は震えながら、飛行機、飛行機の手配を・・・・と呟いていましたが、ジムは今直ぐでなくても・・・・と私を落ち着かせようとしてくれました。 あまりにも突然だったせいか、涙は出てこないのです。 震えてましたが・・・・・。

数週間前に幼馴染の同級生を亡くした私は、彼女が息を引き取った日と告別式の日にちを思い出していました。 そうか、告別式とは亡くなった日から1週間居以内に執り行われるものなんだろうな? ・・・・そんな事をぼんやり思いながら、一刻も早く日本に行かなくちゃ、そう思いました。 兄が1人で大変な思いをしているのでは? そう思ったからです。

直ぐに飛行機のチケットを検索しました。ただ翌日の飛行機だとものすごーーーく高いです。

ジムはこういう場合、つまり身内に不幸ができて、直ぐに飛行機で飛ばなくてはならない場合の特別価格があるはずだっていうのです。 え? そんなの聞いた事ないけど・・・・? 英語でBereavement fare というそうです。

この単語、発音も難しくて、とても電話で聞けそうになかったので、ジムにお願いしました。 エアラインに直接電話して、そういう特別料金があるのかどうか聞いてもらう事に。

まずはユナイテッドに電話をしましたが、数年前まではあったそうですが、そのシステムは無くなったと。 
次、デルタ。
デルタエアはこういう場合の特別料金なるものがあるって! 

電話口でジムが全て手配してくれました。 翌日の飛行機です。 もう直行便は取れなくて、シアトル経由です。 ウェブ上で見るとサンフランシスコ、シアトル、羽田で3000ドルします。 ですが、このチケットを2100ドルにディスカウントしてくれました。出発が早朝5時50分なので、家を夜中の2時半には出なくてはなりません。
条件は、亡くなった人との関係、老人ホームの名前と住所 これらを電話で伝えるだけでした。 特に死亡証明書とかを提出しなさいっていう条件はありませんでした。

続いてジムの飛行機も手配しました。 こちらは私のチケットより300ドル高かった。 なぜなのか? 元のチケットの値段が高かったのか?
とにかくジムは黒のスーツをレンタルしたり、ロキちゃんを預けたり、色々やらなくてはいけない事があったので私の出発の2日後に日本に向けて出発する事に。 ジムは告別式の前日に日本に到着です。


私はどのくらいの日数日本に滞在すべきなのか? ちっとも検討がつかず、ですが、デルタエアのこのチケットは変更可能だというので、とりあえず2週間の日程で帰りの便を手配しました。 ジムは3泊4日の弾丸飛行です。

母が息を引き取ったのが日本時間の6月12日の午前11時半頃・・・・・。この日の朝、脈がみだれて、朝食を食べなかったそうです。 ですが、脈が元に戻ったのでランチは食べられそうだというので、ダイニングまで行き、ゼリーを2口食べさせてもらった、その後・・・・・。
気がつくと息をしていなかったと・・・・・。

ゼリーを喉に詰まらせたわけでもなく、車椅子から転げ落ちたわけでもなく息が止まってしまったと。


最後に会ったのが今年の3月でした。 99歳の誕生日を姉と一緒にケーキを食べて祝いました。 来年の春は家族を呼んで、100歳の誕生日をしようねって約束しました。 

2017年の5月からこちらの老人ホームにお世話になっていた母、7年間病気らしい病気もせず(コロナには感染しましたが、無事に回復)元気に過ごしていました。 最期も病気ではなかった。 ただただ老衰として身体の機能がストップしたのです。
こんな最期を迎えられる人はそう多くはないでしょう。 

母が苦しまずに天国に行けた事が何よりです。 ただ、ありがとう、の言葉を直接言えませんでしたが。

告別式は家族葬で10名のみのお見送りでした。 エンディングノート、母と一緒に泣きながら書き込んだのですが、その大事なノートが行方不明。 ただ、お棺の中に何をいれてほしいですか? という問いに母が「私が作った動物達を一緒に入れて欲しい」と言っていたのを覚えていた私は老人ホームの部屋に飾ってあった手作りの人形と動物達をお棺の中にびっしりと詰めました。 
これなら寂しくないね! と言う程に。

告別式の後は続いて初七日の供養を、そして引き続き出棺して焼き場に移動して荼毘に伏せました。 あっと言うまに全てが終了です。
初めての仏式の葬儀に参列したジムは時差ボケの中、着慣れないスーツを来てさぞ疲労困憊だったと思います。 ですが、ちゃんと私の連れ合いとしての役を果たしてくれました。 涙がでる場面では必ず隣に寄り添い肩に手をまわしたり、一緒に長い箸を使ってお母さんの焼き上がったお骨を骨壷に収めたりと・・・・・。 カルチャーショックを受けたんじゃないかな? 

翌日は何も予定がなかったので、ジムの慰労を兼ねてなにか美味しいディナーでも? と考えた私。椿山荘で「蛍を鑑賞できるディナー」というのをみつけ、一緒に出かけました。 蛍はピークを過ぎていたので、いっぱいは見られませんでしたが、薮で数匹が光っているのが見えました。 バッフェのディナーも美味しかった。 

翌日、ジムは町田のホテルをチェックアウトして、すぐ側の町田バスターミナルからリムジンバスに乗り、羽田へ。 帰りもシアトル経由でサンフランシスコへ。 ロキちゃんを預けていた犬舎にお迎えが間に合わないので、息子に頼んで迎えに行ってもらったようです。

ジムがアメリカに戻った後、私は引き続き同じ町田のホテルに滞在して告別式からちょうど1週間後の日曜日、お寺にお願いして49日の供養と納骨を前倒しで行ってもらいました。 私がアメリカに戻ってしまうから、という理由でです。

天台宗の山口家のお墓のお墓は父が亡くなった時に建てたもので、30年間、父は1人だったわけです。 長かったね・・・・。  そう思うとすごい事だって思います。  父が亡くなった後の母の生活は洋裁が全てでした。 布おもちゃというサークルに参加して、次から次へと布をおもちゃを作っていました。 お友達もたくさんいたようです。 ボランティアで布おもちゃを作っていたので、市から表彰された事もありましたっけ。 

兄の学校の卒業式のガウンを縫ったり、雑巾を縫ったり、色々貢献してました。 

母の老人ホームの部屋を片付けした私は、宝石箱の中のジュエリーや最後につけていた指輪などを手にとって、なんだかちょっと悲しい気持ちになりました。 母は高価なジュエリーを持っていなかったな〜って思ったからです。 
洋裁をする時の器用な母の指は太くてずんぐりむっくりで、指輪が似合わないって何時も自分で言っていました。 だからいつだったか母の日に兄と相談して、『ダイヤの指輪より指抜きの似合うお母さんへ』とメッセージをつけて18金で特別な指抜きを作ってもらいプレゼントしたのです。
それだけです、私が母の形見として貰いたいと思えたのは。 母が3度のご飯より好きだった洋裁。 その時に使っていた指抜きです。 何よりの母の肩身です。

数えきれない程の私の服を作ってくれました。私がアメリカに行った後、頭が痛くてどうしようもなかった時、国際電話で、「かわいそうにね、できる事なら変わってあげるのにね。。。。」 と言ってくれた母。 一時帰国を終えアメリカに戻るとき、リムジンバスのバス停まで何時も見送りに来てくれて、何時までもバスを見上げながら手を振っていた母。

私を産み、育ててくれた人、お母さん、ありがとう。 天国でお父さんに寄り添っていますように。


最後に会ったのが2024年3月27日でした。







2024年4月8日月曜日

2024年 夏の帰国予定 決定

ここのところ、情緒不安定気味です。 ですが、今日は少しモヤモヤが晴れました。 
夏の私の帰国予定が決まったからです。

3月に格安航空券のzipairを使って日本に帰国した私、往復1008ドルってやっぱり安かった。 
ですが、格安航空券でなく普通のエコノミーチケットでも季節によっては1100ドル台で買えたりする時もあります。
だから、いつもZIPAIRで飛ぼうとは思ってないのです。 問題はZIPだと絶対に到着は成田空港だから。 できれば成田は避けたいでしょ・・・・。

今回成田空港からホテルまで4時間近くかかってしまいましたから、できれば羽田が良いのです。
羽田だったら、空港からリムジンバスに乗って町田のお気に入りホテルまで2時間もあれば到着できます。 バス停からスーツケースを転がしながら10分も歩かずにホテルに到着できるので、宅急便で送る必要もありません。

ここ数日チケットを検索して、思い悩んでいました。1200ドルで羽田か、880ドルで成田か? う〜〜〜ん、悩むところ・・・・・。

いつもなら、マイレージで買えるチケットを必ず検察する私ですが、今回はなぜだか調べていませんでした。

で、今年は夏の一時帰国の前後にスコットランドに旅行することになっていて、ジムのお姉さん夫婦が一緒に行きたい、と言ってきました。
なので、それとの兼ね合いもあって・・・・・・。

スコットランドに飛ぶにはサンフランシスコから直行便はないようです。 そんな検察をしていたジムが、ひょんな事にジムのアメリカンエアのマイレージを使って羽田に飛ぶとしたら・・・・と検索してくれました。


あ!!!! そうだ、アメリカンエアのマイレージチケット! 忘れてました。 そういえば、私自身でも50,000マイル程溜まっていましたっけ。
マイルでチケットを取るには、かなり早い時期に手配しないと直行便はありません。 なので、もうないだろうな〜〜〜って思っていると、ありましたよ、プレミアムエコノミー席、直行便が! これだと往復100,000マイル必要だと。

ですが、帰りの便のマイレージチケットにはもう直行便は売り切れていて、LA経由。 と言う事で、行きは直行便、帰りは1ストップ、往復で、87,500マイル。

ジムが腐るほどいっぱいマイルを持っていたので、38,000マイルをプレゼントしてもらいました。 これってただでは移行できないんです。
190ドルジムが払って、私にマイルをプレゼント。 これで私は往復ともマイレージチケットをゲット!

やった〜念願の羽田です。

到着は8月31日の土曜日。 町田に3泊した後、私はLCAにある軽自動車を借りて、長野県八千穂町にあるLCAのセミナーハウスへ移動します。 そこで水、木、金曜日と小学生のキャンプの炊事当番をします。 朝食と、夕食だけです。

で、土曜日から翌週火曜日までは自由時間があります。 長野で過ごすも良し、3時間運転して相模原に帰ってくるのも良し。

そのパターンを3週間続けます。 当初2週間だけ、って思っていましたが、どうせなら3週間、一番忙しい時期にお手伝いしようって思い直しました。 

3度目のキャンプが終わった後の9月21日から帰国までは私の自由時間です。 11日もあるんです。 その中の1日が9月30日がピアノの発表会です。 

相模大野駅の近くにレンタルのピアノ練習室があるそうで、そこに行けばグランドピアノで練習できるらしいのです。 これは朗報です。
わざわざ、兄の家まで行って(これが超アクセスし辛い場所で・・・・)グランドピアノを借りなくても済みそうです。

早くスコットランド旅行について決めないと〜とジムのお尻を叩きました。

9月がスコットランド旅行は良い季節らしいのですが、そこは私が日本なので、だめ。
7月8月はピークで混んでいるので、そこも避けたい。
10月はお姉さん夫婦がすでに予定がある・・・・
結局、5月の末から6月の初めにかけての2週間、と言う案が浮上しました。 まだお姉さん夫婦の予定は不明ですがね・・・・。

これってもうすぐじゃない。 まだ宿も手配してないのに・・・・。 呑気だわ。

ロキちゃんの預け場所を早く見つけないといけませんね。




2024年3月30日土曜日

2024年 夏の帰国予定

カリフォルニアに戻ったばかりでまだ頭が朦朧としているのですが、半年後の日本への帰国の事を考えています。

と、言うのも今年の夏に行われるLCAのキャンプの手伝いを頼まれていて、帰国当初、兄夫婦にあった際に、お盆休みの後からの6週間、手伝う事を約束したのです。
ところが、その数日後、私はフードポイズンにあたり、日本で言うところの食中毒、七転八倒の苦しみを味わいました。 

胃がでんぐり返しする程の嘔吐、39度の熱、前々回帰国した際の新型コロナ陽性の時よりも苦しかった・・・・・。
幸い、吐き気は一日で、熱は2日でおさまってなんとか外出する事ができたのですが、とにかく体力を奪われてしまいました。

熱でうなされていた時に感じた事は、この夏に約束した八千穂高原でのキャンプの手伝い、これは体力的にどうなのかな? って事。

帰国して直ぐにLCAの軽自動車を借りて、長野県の八千穂高原まで移動しなくてはなりません。 これが片道3時間かかります。 
キャンプは毎週水曜日から2泊3日で子供達が来るので、その前日から準備に入ります。 約50〜60人のお食事を2〜3名のフタッフが用意するそうで、その1人として指名されています。 私が入らなくてもなんとかなる様なのですが、私が入れば後の2人が休める時間ができるので、助かるのだそうです。

すっかり体力に自信をなくした私は8月の末から10月の頭までだと長すぎる、と伝えると、それでは一番ピーク時の9月2週目、3週目だけだったらどう? と提案してくれました。 
うん、それだったらできるかも! 

その提案に気を良くした私。 毎年、9月、10月に日本に一時帰国している私ですが、その際は日本では母を訪問する以外に歯医者でのチェックアップ、乳がん検診をします。 その他は友達に会うこと、岩盤浴をすること、などなど。

今回3月20日に行われたピアノの発表会、これpi-up と名付けられているのですが、発表会兼、先生からのアドバイスを頂く、そして最後に懇親会、これ、すっごく楽しくて、ぜひ又参加したい! と思ったのです。

で、次のpi-up が半年後に・・・・と聞いていた私は、その日程が気になって仕方ない・・・・。 もしかしてキャンプの最中かもしれないし、私が帰国した後だったりしたら、すっごく悔しい思いをしそうだ・・・。

そう思った私は、ちょっと気がひけたのですが、このピアノの発表会を運営している会社にメールをしました。 次回のpi-up はいつ頃になりそうですかって。 すると、反対に社長さんからの返信で、いつ頃だったらキャンベルさん、参加できそうすか?と聞かれてしまいました。
9月の2週目、3週目は兄のスクールのヘルプに行くので、9月4週目からは私は自由です。 そうお答えしたのです。

すると、翌日、この社長さんから返信がきて、9月30日にホールが取れましたって。
仮予約ができずに、キャンベルさんの都合を聞かずに本予約をしてしまいましたって。

まさか、まさかのグッドニュースでした。 言ってみるものです。
私にとって、最高の日程が組まれました。 

LCAの長野キャンプの後、私は1週間自由な時間があるので、そこで野暮用を済ませ、その後ピアノの発表会、そしてその後帰国。

こういうプランができそうです。

半年後に又舞台に立っている自分を思うと、今からワクワクしちゃいます。 今度は何を演奏しようか? 今から曲を探して、練習しないと今度ばかりは弾き慣れた曲がありませんから。

と、言うわけで、私は半年後の帰国をイメージしながらジムとの生活を大事に、過ごしていきたいと思います。

こちらのリンクが今回の私の発表会での演奏です。


凄いデブなので、半年後にはもう少しスッキリしたいと思います。




2024年3月29日金曜日

2024年春 一時帰国

3月14日、サンノゼ空港から ZIP AIR という格安航空券で日本へ向かいました。 

今回の帰国のメインイベントは母の99歳の誕生日を祝うことと、ピアノの発表会、そして最後に桜の開花にあわせ、アメリカに戻る前に母と一緒にお花見をしたい、この3つでした。
結果、最初の2つは実行できました。 ですが、滞在中後半の1週間がとっても寒くて、雨が多く桜は咲きませんでした。 
残念ですが母とのお花見はかないませんでした。



3月19日、兄の家のグランドピアノを借りて、ちょっとピアノの練習。 

3月20日、スミダトリフォニーホールというところで(錦糸町)発表会です。 何十年ぶりでしょうか、ちゃんと舞台でピアノを弾くなんて。
どの曲を弾こうか、散々悩んだ挙句、申し込んだのが3ヶ月前だったので新しい曲にチャレンジするのはやめました。 
浪人生時代に日大芸術学部を受験する際に自由曲として選んだモーツアルトピアノソナタ10番第一楽章、これにしました。 
受験で弾いた曲ですから、散々練習をしぬいた曲です。 20歳のときですから44年前。 
この曲だけは目を瞑ってでも弾ける????

ですが、黒木先生のウェブ講座を受講した私は2ヶ月で「月とすっぽん」くらい弾き方に変化が現れました。 受験の時弾いた曲を又弾くなんて、進歩が無さすぎじゃないって自分で思いつつも、44年前のモーツアルトとは全く違う音色で、全く違うリズム感で弾こう! そう決心したのです。

結果? 最初の出だしで躓いちゃいました。 すぐに弾き直し。 その後は少しペースを掴んだ感じ、それでもやっぱり何時ものようには行きません。 自分の最高のパフォーマンスの70%くらいかな? 満足度は? そんな感じでした。

この日の午後は黒木洋平先生のリサイタルでした。 生で聴く先生のピアノはダイナミック、そしてその音がキラキラしてました。
型にハマらない先生の演奏に陶酔・・・・・・。

リサイタルの後は出演した生徒さんの希望者と、先生、そしてこの会社(URAHAKU)を実行運営している宮田社長さんとの懇親会が。
これがとっても楽しかったのです。 緊張感から解放されて、お酒も入り盛り上がり、何時も動画で見ている先生が目の前にいておしゃべりしてくれる。 なんだか夢見たいなひと時でした。 

懇親会が終わった後、私は町田のホテルに戻ったのですが、相模大野に住んでいるという参加者さんがいて、一緒に帰ることにしました。
錦糸町から地下鉄で代々木上原へ、ホームで急行が来るのを待っていた時です。 異常に喉が渇いて、チャドに居た時に朝、目覚めて干物になった様に喉が乾いた、あの感覚を思いだすほどカラカラで・・・・・。 運よくホームにベンディングマシーンがあったので、そこでお水を買いました。

その後です、私、急に、本当に急激に具合が悪くなったのです。 物凄い吐き気に襲われて、階段を走って降りてトイレに飛び込みました。
あと1秒遅れていたら間に合わなかったかも・・・・・・。 
激しい嘔吐・・・・・・・・・。

でもスッキリしたので又ホームへ戻り、次の電車を待ちました。 

急行に乗った後、しばらくは大丈夫だったのですが、登戸の前で又激しい吐き気が・・・・・。 飲み込みました。 3回。

登戸までが地獄・・・・長かった。

登戸で又トイレへ直行。

その後町田へ到着。

同行していたお友達がビニール袋を私のポケットに入れてくれたので助かった。 町田の駅で降りて、階段を降りたところで又嘔吐。

ホテルに到着してから朝の4時まで履き続けたのです。

翌朝には吐き気は収まったものの、今度は熱。

どうやらこれはノロウィルス? インターネットで調べたところ、これがあてはまりそう。

1日何も食べずに過ごしました。 幸い整形外科でカロナールを処方されていたので、それを解熱剤として飲み続けました。 39度くらいまで上がったからです。

こんな事になるなんて、まさか日本で食中毒になるとは・・・・・・。 

会う予定をしていた2人の友達には会えずじまいでしたが、なんとか熱が下がったので3月23日に予定されていた高校のテニス部の同窓会には参加することができました。 

そして最後の日、3月27日はレンタカーをして、まずは田名にある整形外科で股関節のリハビリを、そしてその後伊勢原にあるお寺に行ってお墓参りを、その後母のいる老人ホームへ。 母と写真を撮るのを忘れていたので、写真をとり、私の発表会のビデオを母に見てもらいました。 

3月28日、成田からサンノゼへ。 空港ではジムとロキちゃんの熱烈歓迎を受けました。

出発前に喧嘩をしていたので、ジムは戻ってきてくれて本当に嬉しい・・・・・とぼそっと言ってました。
家のなかは何も変わっていないし、お願いしていた事もやっていない様子ですが・・・・・。

喧嘩(いうか私が1人でキレる)の度に少しだけ何かが改善しているかな? そう思いたいです。

99歳です 

母のお部屋に写真フレームを取り付けました。 これ、wifi が繋がっていたら、
アメリカから新しい写真をフレームにダウンロードできるのですが、
老人ホームでwifi を使うには個人で契約をしないとダメなんだそうです。