2023年8月26日土曜日

父のノートブック

ガレージに積み上げられた段ボールの箱を少しでも減らそうと気合を入れました。 
私の私物が入っている段ボールを1つ1つ開けて、要らない物を処分し、まだ処分できない物はそのまま箱に詰めたままコンテナーに戻す事にしました。 幸い畑にある3つのコンテナーは全て空っぽなので、家の中に収納しきれない物はコンテナーに逆戻りです。

今までどこにどう収納されていたのやら? いやいや、2007年にこの家を空っぽにして以来、色々な国で生活してきて、行った先それぞれで細かい物を買い足していましたから、基本、物が増えているわけです。 減ってはいない。

そんな物の中に日本から送った郵便局の段ボールに入った父のノートブック3冊が出てきました。 
実家を売却することが決まり、家の中を隅から隅まで点検して、最低限とっておきたい物に絞った私ですが、その中に父の形見とも言うべき、闘病日記がありました。 それを私はアメリカに持って帰る(送る)事にしたのです。

そのノート3冊が出てきて、そのうち2冊は平成4年から始まって、平成6年の10月まで父の病院での記録が書かれています。 鉛筆書き、それも力強い鉛筆書き。 漢字が凄く多い。 今の私だったらこんな漢字、書けません・・・・というものばかり。

殆どが毎日の体調を記したもので、体温、体重、血圧、排泄の回数など、事細かに記されています。 その他に、今日は朋子が来てくれた、とか高子と紀生が来てくれた。。。。といったメモ、何々さんからのお見舞い幾らいくら・・・・。 なども一緒に記されています。

平成4年の4月に呼吸困難を起こし、国立相模原病院の診察を受けるところから始まり、平成4年7月6日に三宿病院に入院。(なんで三宿病院なのかは不明です。)

そこから平成6年の10月25日まで力強い記述は続き、そこで途絶えてしまいます。 父の命日は10月29日です。 最後の方は食道癌の治療として放射線や点滴の記述が事細かに書かれています。
最初の頃62キロあった体重は最後57.5キロまで減ってしまっています。
血圧は104/60 という記載が多いです。

これを見ると、今の私の体重、血圧と殆ど同じじゃないですか! 私の体重が今、57〜8キロ、血圧が100前後/68 
低血圧は父に似たせいのようです。 

七夕の日の記載に目頭が熱くなりました。 七夕の祈りの言葉として、『神様、どうか私の身体に力を御与えください』と書いてありました。 

父は無口な人で、何を考えているのか全くわからないような静かな人でした。 穏やかで、怒った顔を見たことはありませんでした。

この七夕の祈りの言葉は何とも切なく父の無念を感じずにはいられません。 そしてなんでもっと父と話をしなかったのか? と自責の念に駆られます。 

父は税金の事しかわからないような人で、自分でお茶を淹れる事もできないような人でした。 このノートブックを見るまで、父がこんなに几帳面な性格だった事さえ知りませんでした。 

父からもらった私の命、大事にして生きないと父に申し訳ない。 そう思った次第です。 父の手書きを見ていると、父の匂いや体温さえ蘇ってくるかのように感じます。 平成6年は1994年。 29年も経ったんですね・・・・。 

PS 闘病日誌の他にもう一冊のノートがありました。 これは昭和の頃の金銭出納帳のようなもののようです。
朋子のギター ヨーカドー 22,500円 とか記載されています。 
こういう家計簿のような物まで付けていたなんて・・・・・。
昭和53年3月15日の記載に ホームランナー、トレーニングシャツ、運動靴、高子くびかざり 合計5万円支出 という記載がありました。
“くびかざり“  という記述がなんだか泣ける。




0 件のコメント: