2023年12月29日金曜日

クリスマス そして偏頭痛

2023年のクリスマスが終了しました。 やはりアメリカの生活の中で一番大きなイベントはクリスマスでしょうかね。
サンクスギビングが一月前に終了したばかりで皆で集合したばかりなのに、またか〜って感じもしないでもないのですが、これがアメリカの年末の過ごし方。

今年のクリスマスもジムのお姉さんの家に集合でした。 お姉さんには3人の息子がいて、それぞれ家庭を持っているのですが、息子の家族全員が集まれるように、という目的で購入したのが現在の家です。 敷地面積は9エーカー。 馬を飼っています。 ゲートから玄関まで何百メートルもある感じ。 日本で行ったら公園ができる広さ。
そこに集合したわけですが、次男と3男が兄弟喧嘩をしていてかれこれもう6〜7年になるでしょうか? 一緒に集まる事を避けています。
なので、両方の家族に会うために、23日に次男の家に行ってクリスマス、そして24日にお姉さんの家に移動して3男家族が合流。と言うなんだかややっこしい感じのクリスマスになってしまいました。


23日から3泊4日での移動でしたが、出汁の味が恋しくなる4日間でした。 クリスマスディナーのメインディッシュはハム。 大きな塊をオーブンで何時間も焼いて、それをスライスして頂きました。 翌日はそれがサンドイッチになったり・・・・・。

家族で集合する時は大抵お料理の分担があります。 以前私がインゲンを茹でて、生姜を擦りおろし、お醤油であえた物を紹介したらそれが大ヒット。 特にお姉さんに大受けして、それ以来、私の分担はジンジャービーンズ。 茹でたインゲンにちょっとふりかける『昆布だし』が隠し味。 昆布だしは顆粒なので生姜醤油で和える時にちょっとふりかけるととても美味しくなります。 

今年はオクラのガーリック炒めも作りました。 

こういう日本では当たり前の野菜の一皿がアメリカ人にとっては凄く目新しくて美味しく感じるようです。 バターとかオイルとか使わなくてあっさりしてるしね。

4日間みなのテーブルマナーを観察していたら、ま〜〜〜バターをいっぱい使う事、使う事。 甥っ子の娘9歳はコーンブレッドにバターを山の様に乗せて、バターを食べてるのかブレッドを食べてるのか? って程バターを食べてました。
アメリカ人から見ると、Tomoの作る料理はいつもお醤油が入ってるって言われますが、反対にあなた達の料理にはいつもバターが一杯使われてるよねって言い返したいです。

26日、5時間程運転して家に戻りました。 なんだか疲れちゃいました。

28日の夜にソファーに横たわりながら動画を見ていた私は右の首筋がちょっとだけ痛いのに気づきました。いや〜〜〜〜な予感。

案の定、翌朝から頭痛。 早速胃に食べ物を入れてから偏頭痛の薬を50mg飲みました。 2時間後、効かない。 もう50mg追加。
それでも効きません。 ドンドンひどくなるばかり。 午後4時半、今度は100mgを処方。 それでも頭痛が治らない。

これって何? いつも飲んでいるこの薬だけは1〜2時間すればふわ〜〜と頭痛が消えて楽になるんです。 なのに、全然効かない。
横になっても痛くて眠れない。

この薬、強い薬なので24時間以内に200mgがマックス。 で、私、すでに200mg飲んじゃった。

夜になってお腹が空いてジムが夕飯を用意してくれてスパゲティーを食べました。 その後頭痛は全然良くならす、夜中の3時まで苦しみ続け・・・・・。 ベッドに寝ていられないので、リビングの床に座ってソファーに上半身を乗せてうつ伏せに・・・・・。
もう泣きたい気分・・・・・。 追加の偏頭痛の薬は翌朝までもう処方できないので、仕方なく普通の鎮痛剤を飲んでみました。 イブプロフェンです。 これ、いつもは私の頭痛には効かないのですが、今回の偏頭痛は身体中が痛かったので、身体の痛みだけでも効くかな? と思って飲んでみました。 すると、いつもは全く効かない頭痛が少し楽になった。
それが午前3時。 
そのタイミングでベッドに戻り朝まで寝ました。 

翌朝はまだイブプロフェンが効いていたのか、頭痛は抑えられてる感じ。 10%くらいの痛み。

朝食をとってから今度は購入したばかりの新しい偏頭痛の薬を50mg飲みました。 
すると、さ〜〜っと痛みが抑えられて頭痛がゼロに。 ですが、私の偏頭痛は始まったら3日間続くので、今は薬で抑えられてる感じがします。でも家事もできるし、外出もできる。 ちょっとふわふわしてまた頭痛が戻ってくるかな〜っていう感じがありますが、これ、いつものパターンですから。

今回24時間、偏頭痛の薬が効かなかった理由がわかりません。 薬が古かった? いや今年の2月に購入したものなので、それ程古くないし・・・・。 で、いつもは行かないイブプロフェンが効いたってことは?????? もしかして偏頭痛以外の頭痛だったのか?
いやいや、いつもの様に首筋がパンパンに張って頭を動かすと吐き気がするような頭痛で、これって緊張型って言うより偏頭痛に近い症状だと思うのだけど、今回はクリスマスの時から顔が浮腫んで身体の代謝が悪くなっていたのを感じていたので、それと関係しているのかな?

頭痛ダイアリーをつけて観察したいと思います。 
しかし、昨夜の頭痛は辛かった・・・・・。

今日は29日、日本だったら年越しの食材を買いに行く頃だね・・・・・。 年越し蕎麦が食べたいけど、買いに行く元気がない・・・・。
























2023年12月14日木曜日

GOBO

先週ヘアカットに行った帰り道にサンノゼの日本食スーパーに立ち寄り、豚汁の材料を買って来ました。 その際にゴボウを探したのですが、それがどデカい生の3本セットしか置いていなくて、1メートル弱はあるんじゃない? って程長いごぼう3本を買ってしまいました。 日本のようにカットして小袋で売っているタイプはないので仕方ありません。 一本は豚汁に。 そして残りの2本はキンピラにしました。

カットしてみると、大量です。 人参も加えたので結構なボリュームになってしましました。
GOBO っていうサウンドが日本語の単語にしては覚えやすいらしく、ジムは側でGOBO GOBO GOBOを連呼してます。 ゴボウっていうよりゴボ、ゴボ、ゴボなんだけどね。見る度にゴボゴボ言ってる。

油で炒めてからお酒、砂糖、お醤油で味を染み込ませました。

これ、日本人は皆好きな味。 特に生の泥付きゴボウから作ったので、ゴボウの風味がよく出て、美味しかった。

さて、12月13日夜、この日は『ふたご座流星群』が見られるはず、っと言うので夜中まで起きている事にしました。 流星群、大好きな夫婦なんです。 以前流星群を見るために小高い山までトラックで行き、リクライニングシートや毛布、暖かい飲み物まで用意して夜空を見上げ続けた事がありましたっけ。 ですが、その夜はほんの2〜3個見えただけで、断念して家に戻ったのです。 ですがなんだか不完全燃焼・・・・・・。 その夜は庭にエアマットレスを出して、テントなしで寝袋の中に入り、夜空を見上げながら寝る事にしたのです。 

確かに小高い山まで行かなくても、我が家の庭でも十分星空を見渡すことができて、寝袋に入ったまま寝付くまでに数個の流れ星を見つけました。 私があっ! と声を上げた時に、ジムは隣でイビキをかいて寝てましたけどね。

で、12月13日から14日に日付が変わった頃にジムと私、そしてロキは庭に出て夜空を眺めました。 合計で、ジムが4つ、私が5つの流れ星を見つけました。

ウェブの情報によると、1時間に120個の流星が見える・・・・とあったので、もっと凄いショーを期待してしまいましたが、5つ程見えたから、良しとします。

あれは何年だったかな? まだアフリカに行く前だから、2007年より前? もの凄い流星群を庭から見る事ができた事があったのです。 それこそ、1時間に100個を超える数の流れ星が次から次へ流れて、それはそれは興奮しました。 あの興奮をもう一度! 
いつもそう期待してしまう私達です。 

でも一生のうちに一度でもそんな奇跡のような流星群を見られた事は、私の思い出トップ10の中に入る1つです。 うん、あれは最高だったた〜〜〜〜。







2023年12月8日金曜日

San Franciosco へ (愚痴なんだけどね・・・・)

ステップサンがサンフランシスコのダウンタウンで行われるゲームディベロッパーのコンファレンスに参加したいと言うので、一緒に行くことになりました。
こういう場合、1人でサンフランシスコまで行けば良いじゃない? って思ってしまう私ですが、チコのアパートからサンフランシスコの会場までが4時間かかるそうで、夜の8時に終了してからその足でアパートに戻るのは大変だってことで、前日にサンフランシスコを通り過ぎて、アロマスまで来て我が家に一泊し、翌日皆で一緒に一台の車で行くことになったのです。 コンファレンスの後はサンフランシスコのホテルで一泊です。
私としては35歳の大人なんだから、1人でマネージすべきだって思います。 夜の8時から4時間かけてアパートに戻るのが大変なら、1人でその夜は一泊すれば良いのです・・・・。
こう言う場合、お父さんが黙っていません。 前日にうちに来て一泊し、翌日皆で一台の車でサンフランシスコへ行こう! と言い出しました。 ステップさんはコンファレンスに、私達はその間街を散策。 コンファレンスが終わった後はステップサンをピックアップして、遅いディナー、そしてホテルへ、という流れです。

今回は、2部屋予約を入れてくれるようにジムに念をおしていたので、2部屋ちゃんと借りてくれました。 これって初めてかも?

もし、これが私の子供だったとしたら、本人が絶対に参加したいイベントであるのなら、本人がガッツを見せて全てマネージするように言ったと思います。 金銭面では現在収入はゼロなので、援助するにせよです。

サンフランシスコは坂、一方通行だらで、車で走りづらいし、駐車料金も高いです。 お父さんがウキウキしながら一緒にバケーション気分で一緒に行きたがった気持ちは理解できます。 一緒にご飯食べたり、翌日は観光もできるし。 
ですが、いつものパターンでお父さんが全てお膳立てしてしまうので、ステップサンはいつまで経っても1人でサンフランシスコに行けないし、自分で自分の事をできるようになりません。 サポートの意味を間違えていると、強く感じるのです。

今回、私も一緒に行きましたが、この事が頭から離れず凄くストレスでした。 ステップサンを見ていたら、全て、お父さんにオンブにだっこ状態でしたから。

会場の前に車で送ってもらい、終わったらお迎え。 全てお父さん任せ、丸投げ状態。

お父さんも一緒にプチバケーションを味わいたいと言うのなら息子が主体で計画、実行すべきだと思います。 お父さんは影で見守る。そして一緒に参加できるところだけ一緒に楽しむ。 僕は8時に終わるからここに何時に来て欲しいって・・・・・。 

息子が自立できない大きな理由は本人より、お父さんが原因だって今回はっきりわかりました。 

良い父親でいたい、息子のサポートをして社会に送り出したい。 そう強く思っている父親であることは確かですが、そのやり方がかなり違うと思います。

転ばぬ先に全てお父さんがやってしまうから。 本人が経験できる絶好のチャンスなのに、練習できないのです。 

私の意見を言ってしまおうかな〜〜〜って思いましたが、多分私がこれを口にしたら、夫婦関係がとんでも無い事になるのがわかっています。

でもこのままだと、多分ステップサンは40歳になっても今のままでしょう。 
厳しい状況を潜り抜けてこそ、そこで学ぶ事がいっぱいあるはず。 その経験が本人の為だし、自信に繋がるはずです。 失敗も含め、ゲームを作る人になりたいのなら、色々経験しなくちゃ・・・・。 (35歳、いやもうすぐ36歳、これから失敗を経験させるのはもう遅すぎるかもしれない。)

私はどうしたら良いのか? 考えだすと眠れなくなってしまいます。


翌日はチャイナタウンの飲茶を食べてから帰ることにしました。 飲茶を食べた後、チャイナタウンのお店で私はオクラを探していました。
何件かのお店を見てまわっていたら、ありました、オクラ! オクラの美味しい食べ方をステップサンに教えてあげるためでした。
で、お金を払って外に出ようとした、その時です。 足元に大きな箱があって、中を見下ろして・・・・・悲鳴を上げました。
その箱の中に積み重なるようにうごめいていたのはなんと、ガマガエル。 手のひら位大きなやつです。英語だと Toad と言います。
それが生きたまま、重なりあってた。

それを見た途端、悲鳴を上げて中国人のお客さんを何人か押しのけ外に出ました。

で、家に帰ってからオクラを調理しよとオクラを探したのですが、どこにも無い。 あ〜〜〜、ガマガエルに驚いて飛び出した時に落としのかな?

とにかく、あの光景は頭の中からディリートしたいです。 あれを食べるのか? 



ステップサンよ、まずはダイエットしてサンフランシスコの坂も歩けるようになりなさい。 10メートルも歩くと息が上がって休まないと歩けない状態では、これから先の長い人生、戦えない。 自分でマネージするんだよ自分のことは。 









Chrissy Fireld という場所。 かつてジムがトライアスロンのレースをたった辺りだそうです。
ゴールデンゲートブリッジを下から見上げる感じです。


原っぱにいたわんこ達に混ぜてもらいました。 久々のドッグパーク状態でした。
写っているのはジムと知らないオジサンです。 


ワンコフレンドリーホテル。 

NYとはちょっと雰囲気が違うね。

有名なフレモントホテルの前です。

ケーブルカー。 ワンコは乗れないみたい。

3人してカメラ目線。 珍しい〜。

ダウンタウンの喧騒の中を走っていた無人カー。ドライバーなしです。

サンフランシスコの景色はこれだよ〜。




































 

2023年12月2日土曜日

2024年カレンダー作成

2024年のカレンダーをFuji Film にオーダーしました。 母が老人ホームに入居して以来、毎年12月にオンラインでカレンダーを作成して母のホームに送っていました。 母の部屋の壁に飾って貰いたく、A3サイズの大きなカレンダーです。
ですが、去年の12月は作成しませんでした。
と、言うのも母のホームを訪問した際に壁に月の過ぎたカレンダーがかかっていて、母は全然気に留めていなくて、全然見た事もない? と言ってました。多分、覚えていないだけなのだと思いますが・・・・・。
一昨年前は卓上カレンダーに替えて作ってみたり、と作戦を替えてみたりもしましたが、殆ど私の自己満足です。

今まで送ったカレンダーは捨てずにクローゼットの中に保管されています。 綺麗なカラープリントで仕上がっているので、それを切り取って額に入れたら良い感じになると思います。

今年はまた、A3のカレンダーを作って送る事にしました。 母の写真があまりないのですが、その分ロキちゃんがいっぱい登場してます。
30分程で仕上げたので、完璧な出来ではありませんが、12月の中旬には母の老人ホームに届くはずです。
いつもは12ページプラス表紙、13ページのカレンダーを作っていましたが、今回は2ヶ月ごとの6ページプラス表紙の仕上げにしてみました。
一時でも母がページをめくって見てくれたら、嬉しいです。

来年3月に帰国した時に私は母のお部屋で完成したカレンダーを見ることになります。
因みにお値段は3900円程でした。 6ページだとちょっと安いようです。