思えば、2008年頃だったかな? チャドに赴任していたジムにパリから合流した私は、まだ自分達の住む家が決まらなかった時だったか?
中国人が経営するホテルに滞在してました。 部屋は広いのだけど、寝ている間に私の背中にゴキブリが走り、ジムが素手で叩き殺した・・・なんていう思い出があるホテル。
それにそのホテルに滞在している間に私は高熱を出したのです。 40度近い熱でガタガタ震えながらベッドで寝ていて、ジムがその日どうしてもどうしても提出しなくてはならない企画書があって、直ぐに私を病院に連れて行けなかったのです。 ガタガタ震える私を横にジムは必死に企画書に取り組んでいました。
その時・・・・・・。 窓の外で大きなプロペラ音がしたのです。
するって〜と・・・・・。
ラップトップに向かって必死にタイプしていたジムがパタ、と椅子から立ち上がって窓まで駆け寄ったのです。 で、その姿をおぼろげに見ていました、私。
窓が結構高い位置にあったのです。 で、プロペラ音が聞こえる方向に顔を向けようとしているジム。 なんと爪先立ち。
この時の情景が高熱にうなされながらもはっきり頭に残ってる。
この人、子供みたい。 そう思ったからです。
で、話はジムが空を飛ぶ事に憧れを抱いていたって事。
ジャイロのライセンスを取りたいって言い出した時に、え〜〜〜〜! ってなったのですが、「僕が空を飛ぶことに興味があったって、知らなかったの?」 って言われましたが、知りませんよ。 爪先立ちで窓の外の飛行機を追っていたのは知ってるけど、まさか自分で飛びたいって思ってたなんて・・・・・。
これが数年前の会話でした。
そもそもジムがNYで一年生活しようか? って言い出したのも、今になって思えば、NYで一年生活した後にフロリダに移動してジャイロのイベントに参加する。 で、インストラクターを探してレッスンを受ける。で、20時間のレッスンを終了した後は速やかに筆記試験を受けて、その後実技。 免許をとる。
こういう構想を描いていたようなのです。で、ジャイロっていうのはなぜだかアメリカ西部より東海岸、南部の方が盛んなのです。 だからNYに行き、その後、ジャイロのインストラクターがより探しやすい東部・南部で免許を取ろう! そう企んでいたようなのです。あわよくば、中古のジャイロを買って、カリフォルニアまで飛んで帰りたい!
え〜〜〜、じゃ、私とロキちゃんはNYからどうやってカリフォルニアまで帰るのか? あ、ジムが空を飛んで私たちはトラックで移動ね! なるほどね。(冗談じゃない!)
多分、ジムはこういう大それた事を考えていたようなのです。
カリフォルニアまでジャイロで飛んで帰るっていうのは、一発でインストラクターに却下されましたから、心配する必要はなかったんだけどね。
NYを出発して、その後カナダケベック、その後ウェストバージニアを経由してフロリダへ移動した私たちは、計画通り、ジャイロの一大イベントに参加しました。 展示会? って感じのイベントで、ジャイロを売りに出したい人が自分のジャイロを持ってきていました。
そこで一台いいかな〜っていう中古を見つけた私達。 その時は決断しませんでしたが、その後トレーニングをしてもらう予定のインストラクターもこのイベントに来ていました。 挨拶を。
フロリダの後、私たちはアラバマに移動。 そこでAir B and Bに滞在しながらフロリダで挨拶したインストラクターの居る空港へトレーニングに行こうとしたのです。
で、第一のBad Luck 、私達がトレーニングの予約をしていた前日にインストラクターがコロナに罹ってしまいました。
で、その後の1週間は何もできず・・・・・。 インストラクターはコロナ用のお薬を処方されて1週間で戻ってきましたが、私達の後に次の生徒さんの予約が入っていたそうで、潰れてしまった1週間を埋め合わせてもらう事はできなかったのです。
で、元気になった先生からフライト計画をもらい、いざ空港へ。 先生のジャイロに乗って、まずは空港内を自動車のように走らせて移動するトレーニングをジムが受けました。 なるほどね・・・・次は私の番だ、と緊張しながら待っていたら・・・・。
なんとインストラクターのジャイロの電気系統が故障。 トレーニングは中断。 全くもってインストラクターも驚いていました。商売道具が壊れちゃったのですから。
結局、数週間アラバマに滞在しましたが、ほとんど何もできなかったのです。これがそもそもBad Luck の始まりでした。
続く。。。。。
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