私の両親は2人共に栃木県日光市の生まれです。
で、母方のお爺ちゃんについて思いを巡らせました。 お爺ちゃんについてもっと詳しく母に聞いておくべきだったと後悔しても始まらず・・・・。 金谷ホテルのウェブ上の情報と、私の想像を元にすごい事に気がつきました。
お爺ちゃん、村野 惣吉さんは親1人子1人で育ち、小学校しか出ていなかったそうなのです。 ですが、小学生の頃から日光金谷ホテルで丁稚として働き、当時外国人の宿泊客が多かった金谷ホテルで耳から英語を覚え、終戦後は通訳の免許まで取リ、日光のガイドブックを作ったり、ガイドとして外国人と一緒に日本を旅したりしていたそうなのです。 ここまでは母から聞いて知ってましたよ、私。
で、今回発見したのが・・・・金谷ホテルの歴史のページに出てくる錚々たる歴史上の有名人の事。
ヘレンケラー、チャップリン、これは知ってた!でもアインシュタイン、リンドバーグ、ガンジー これら教科書に出てくるような有名人がお爺ちゃんが働いていた頃に滞在していたらしいって事。
ここからはguessing game なのだけど、母が生まれたのが1925年、という事はお爺ちゃんがその時30歳だったとしたら、お爺ちゃんの生まれたのは1895年頃だと想像がつきます。 多分、もう少し若いかな?
で、戦前だとアインシュタインが滞在していたのが1921年、リンドバーグが1931年、チャップリンが1932年、ヘレンケラーが1937年です。
と、いう事はその頃お爺ちゃんは金谷ホテルに勤めていて、年齢的に26歳から42歳?
アイゼンハワーが滞在したのが終戦後で1946年。 マッカーサーも終戦直後に日光に来ているようで(ホテルの記録にはマッカーサーの名前はありません)マッカーサーの写っている写真の隅っこにお爺ちゃんがスーツを着て立っている写真が残っているので、私の想像上の計算だとお爺ちゃん51歳。 まだ元気だった。
私が生まれる2年前の1957年には昭和天皇と皇后様が滞在されていて、同じ年にガンジーも滞在してる。
私の記憶の中にいるお爺ちゃんは脳溢血の後遺症で半身不随になってしまい、日本中を通訳として旅した頃の面影はゼロでした。
お爺ちゃんが何歳のときに倒れたのか? それもはっきりしないのだけれど、終戦後、マッカーサーが来たときはまだ健全だった。 それは確かなのです。
と、いう事はもしかして、お爺ちゃん、これらの錚々たる歴史上の人物と直に会っていたのでは? もちろんホテルマンだから個人的に会うわけではないけれど、それにしたってアインシュタイン、ヘレンケラー、チャップリン! お爺ちゃん、写真が欲しかった〜〜〜〜!
終戦後、GHQが観光地である日光に来たとき、通訳が必要だってことで、お爺ちゃんはとても引っ張りダコだったそうなのです。
君の発音はとても素晴らしい! と褒められていたとか。
お爺ちゃん、あっぱれ!
お爺ちゃん、脳溢血で倒れた後、お医者さんが『亡くなられました。』 と宣言してお爺ちゃんの口に詰め物をした・・・・その直後。
昼寝をしていた幼いお兄ちゃんが突然泣き出した。 なんでも夢の中に白い着物を着た人がドアを叩いて、『入れてくれ、入れてくれ!』 と無理やり入ってきた・・・・。 と幼い兄は泣き叫んだそうなのです。
で、この時、お医者さんが死亡を宣言していたお爺ちゃん、急に息を吹き返したと。 其の後、お爺ちゃんは10年以上生きたのです。
私の想像だとお爺ちゃんが倒れたのは63歳くらいだったのでは?
という事で兄はお爺ちゃんと魂で繋がっているって思うところがある様です。 2人ともに英語に関係してる。
お爺ちゃんは学歴こそなかったけれど、通訳になれる程の英語力とビジネスセンスもあったようで、お婆ちゃんに東照宮の麓で大きなお土産屋さんをやらせたり、バス会社を立ち上げたり、と色々頑張ったそうなのです。
そうだ、今度帰国した時に母の一番下の妹(私の叔母)にお爺ちゃんについて聞いてこよう! 4人姉妹のうち残っているのは一番したの叔母1人になってしまったので・・・・。
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