2024年7月27日土曜日

アメリカのメディケア

携帯に保険関係の電話がかかってきます。 どこから私の番号をゲットしたのか? 知らない番号なので無視すると、ボイスメールが入っています。 内容はこう・・・・。 「あなたはもう直ぐ65歳になるからメディケアを購入することになりますよ、それのお手伝いをさせてください。」・・・・ってな感じです。 

私達の年齢の人達は65歳になって、政府が発行するメディケアに加入できる日を首を長くして待っている人が多くいます。 私もその1人と言えばその1人です。 なんでって今現在支払っている保険料の10分の1くらいまで毎月の保険料が減るからです。

会社勤めをしていない人は個人で保険を選ばなくてはならず、その保険料が半端ないのです。 お医者さんにかかろうが掛からなかろうが関係ありません。 毎月、支払わなくてはいけないのです。 

色々調べました。 メディケアについて。 結構難しかった。 ジムに聞いてもなんだかよくわからないし・・・・。

年金を既に貰っている人はわざわざ申請しなくても自動的にカードが送られてくるそうなのですが、私はまだ年金の請求を開始していないので、メディケアの申請を自分でしなくてはいけない事。 近くのソーシャルセキュリティーオフィスまで行って申請するか、オンラインで申請するかのどちらかだと・・・・。

オンラインで申請しました。 ちょっと不明な点もありましたが、申請が完了するまでに3ステップがあるそうで、もしも間違っていたら多分、向こうから言ってくるだろう、と思い送信ボタンを押しました。

案の定、オンライン上で自分のアカウントにログインすると進行状況が確認できました。 3段階のうちの最初のステップが完了。
その後審査があってローカルのオフィスから連絡があるのかな〜? なんて思っていたら、早々次の日にワトソンビルのソーシャルセキュリティーオフィスからメールが来ました。 1ヶ月から2ヶ月って思っていたので、びっくり。

ソーシャルセキュリティーオフィスはここから20分ほどドライブしたところにあります。
そのオフィスに出生証明とグリーンカードを持ってきてくださいって書いてありました。 これは既に調べてあったので、出生証明は簡単には手に入れられないので、他に代用できるものは無いですか?と電話で聞いたところ、パスポートで良いとのこと。 で、その時、期限が切れていないパスポート! って言われたと思ったのですが、受け取ったメールには期限の切れたパスポートを持ってきてと・・・・。 どっちやねん?

とりあえず月曜日にもう一度電話で確認してみます。

このぶんだと3段階の工程は直ぐに終了できそうなので、10月1日からメディケアがスタートできそうかな!

で、今回の申請がめでたく受理されてメディケアのカードが送られてきたら、次のステップとしてまだやらなくてはいけない事があるのです。 この状況だけだと処方箋のお薬がカバーされないのです。 なので、今申請しているベーシックの保険、これはマスト、でそれプラスお薬をカバーできる保険を任意で申し込んだり、ベーシックでカバーされない処置の費用をカバーできる補助的な保険(サプルメント)を追加購入したり、とまだ申し込みをしなくてはなりません。 これを全て終了して安心できると・・・・・。

これら全部を含めても今支払っている保険料に比べたら、ほんと、安くなる。

調べたところ、人工関節にする為の股関節の手術を受けたとしても2000ドルちょっとで済みそうなのです。 これはグッドニュースです。
あれこれ悩まずに、さっさと手術を受けて又、走れるようになった方が良いですから。

ジムは3年まえに既にメディケアに切り替わっています。 以前はスキンキャンサーの手術で6000ドル〜なんて言う請求が来たりしてましたが、メディケアに切り替わってからは数百ドルで済んでいるようです。 

映画のシニア料金とメディケアだけは良いよね〜。 


2024年7月26日金曜日

暑中お見舞い申しあげます

7月26日、もうすぐ7月も終わりになりますね。 
日本のニュースをチェックすると、猛暑とゲリラ豪雨の被害のニュースでいっぱいです。 とくに東北地方の記録的な豪雨で床上浸水、川の決壊、今まで経験したことのないような事態になっていると・・・・・。 今まで経験した事のないような暑さや豪雨はやはり地球温暖化が影響しているわけで、世界中で真剣な取り組みが急務。 このままだと人間が住めない星になってしまいそうです。
  
8月もまた猛暑が続くのでしょう。 東京のあのコンクリートジャングルを思い出すと、この猛暑の中、どれだけ毎日の生活が厳しいか、そして、コロナの第11波が来ているということで、本当に暑中お見舞い申しあげます、です。
コロナは5類に移行されてから、個人での対応の仕方の違いで、ずいぶんとコロナに対する考え方が変わったと思うのです。 インフルエンザに罹った時と同じって事なので、何もそんなに大騒ぎする必要はないのだと思うのですが、一番懸念するのが後遺症です。
後遺症でずっと苦しんでいる人の話を聞くと、仕事ができなくなったり等、深刻な状況に陥ってしまっているようで、そうなったら一大事です。
インフルエンザで後遺症って聞いたことないので、これはコロナのまだ解明されていない未知の課題なのでしょう。

夏はまだまだこれからが本番なのですが、猛暑、コロナ、台風、この3つ、心配だわ〜。

私が次に帰国するのは8月31日です。 思えば台風シーズン真っ只中でしょうか? こればっかりはどうしようもないので、台風が来ないことを祈るばかりです。

9月の第一週目から3週目までは長野県の八千穂村にてLCAのキャンプのお手伝いをします。 母が生きていれば、週末は相模原に戻って母に面会に行くつもりでしたが、それも無くなってしまったので、週末は長野で過ごす事になりそうです。 行ったり来たり、片道3時間の運転は疲れるし、疲労は何より体調を崩す原因なので・・・・・。 これ、過去に日本滞在時にコロナ、そしてノロウィルスにかかった経験から学んだ事。 体力を過信するべからず! です。

9月の第4週目からは町田のホテルに滞在予定で、9月30日が発表会です。

ピアノの仕上がりぐらいですか? う〜〜〜ん、少しは良くなってきてはいますが、まだまだです。 日本人特有のダウンビートがなかなか抜けません。 そう、あの盆踊りの時のビートのとりかた。 これはもう、日本人が故にDNAに染み込んじゃってる、揉みてのリズム感。 これがイカンのよ、ピアノには。

アロマスは申し訳ない程涼しいです。 昨日はそう、高気温が21度でした。 朝晩はジャケットを羽織らないと寒いくらい。

8月3日のオークランドでのゲーム。 ドジャーズとアスレティックスの野球ゲーム、もうすぐです。 今日、見つけたニュースによると、3日のゲームの9イニングから花火大会とドローンのショウが行われるそうで、これはラッキーです。
昨日、私が調べたところによると、2023年のメジャーリーグの中で30球団中、アスレティックスが最下位なんだそうです。

だからドジャーズは勝てるかな! 
で、ゲームの後は花火! 大谷選手の奥さんももしかしたらロスから来ているかもしれないな〜。







2024年7月6日土曜日

その後

母が天国に旅立ったのが6月12日です。ちょうど1ヶ月となります。

母が亡くなったいう連絡を受け、プルプルしながらパッキングし寝る暇もなく日本に向かったあの日の事が夢だったような、そういう錯覚に陥ります。 あっという間に告別式を終え、あっという間に荼毘に付され、あっという間に父の骨壷の隣に置かれた母。


日本に居るのは兄だけになってしまいました。

そういう事を考えていると眠られなくなってしまいます。 夜の11時、12時頃、全く眠気を感じずに完全に覚醒。 時差ぼけです。 

ネガティブな事を考え出すと、それをかわきりに怒涛のように心配事が押し寄せてくるので、できるだけそうならないようにこの先の楽しい事に集中して、ワクワクできるように自分を仕向けています。

まず、8月3日に行われるドジャーズとアスレティックスの試合のチケットを手配しました。 サンフランシスコ、ジャイアンツの試合は先月サンフランシスコで行われたのですが、チケットの価格が凄く高かった。 サンフランシスコのもう1つのチームアスレチックスの試合はイマイチ人気がないようで、チケットの値段も少し低め。 8月3日午後6時7分からスタートです。

もちろん大谷選手目当てで球場に行くのですが、大谷選手は左打ち。 ドジャーズ側の客席に座ると大谷選手の顔が見えないんです。 今までの経験から大谷選手のチームとは反対側の客席に座った方が大谷選手の顔が見えるのです。 というわけで、8月3日はアスレチックス側の席で応援です。 声を殺しながら・・・・・・。



ピアノの練習に励んでいます。 初めてのショパンノクターンNo1 OP 9-1. これに惚れ込んで選んだは良いのですが・・・・。
弾けます。 弾けるんだけど、全然納得がいかないです。 なんだか譜面をただ追って弾いているアプリみたいです。 自分の演奏を録音して聞いてみると、目先が真っ暗になります。 
これではいかん、と躍起になって練習すればする程、手首から腕が痛くなってどんどん悪くなっていきます。 

自分の理想とする音、弾き方を追求して行き着く前に腱鞘炎になってしまったら大変です。

もう一度黒木先生の基礎講座のビデオを見直して、忘れていた事を思い出しながら次のステップに行けることを真に願います。

先生がおっしゃるに、股関節もピアノの演奏に影響すると・・・・・。 そうなのです、私、右の股関節に問題ありで、変形性股関節症になり始めていると言われたのです。 で、ピアノっていうのは、特にショパンは右足でペダルを踏む動作が多くなります。 ずっと上げ下げしています。 で、この先、股関節が痛くなった場合、ペダルにも影響を及ぼす恐れがありそうで、心配しています。

お友達に勧められたピラティスをやってみようかと思います。 もしもそれで改善できる、という手応えがあれば、続けてみようかなって。
まずはアポイントを取って、アセスメントからです。 







2024年6月29日土曜日

母が永眠いたしました

グリーンカードが手元に届いたというブログを書いたのが6月11日でした。 
この日の夜、ディナーを終えたジムと私はリビングで映画を観ていました。 なぜだか手元にiPadがあってラインのメッセージがポンと飛び込んで来たのです。

姉からのメッセージで「お母さんが亡くなった」と。

悲鳴に似た声をあげた私。 震えてました。 あまりに突然だったので。 

老人ホームから連絡が来て今兄が駆けつけていると・・・・。


ジムは直ぐに映画をストップして私の側に駆け寄って肩を抱いてくれました。 
私は震えながら、飛行機、飛行機の手配を・・・・と呟いていましたが、ジムは今直ぐでなくても・・・・と私を落ち着かせようとしてくれました。 あまりにも突然だったせいか、涙は出てこないのです。 震えてましたが・・・・・。

数週間前に幼馴染の同級生を亡くした私は、彼女が息を引き取った日と告別式の日にちを思い出していました。 そうか、告別式とは亡くなった日から1週間居以内に執り行われるものなんだろうな? ・・・・そんな事をぼんやり思いながら、一刻も早く日本に行かなくちゃ、そう思いました。 兄が1人で大変な思いをしているのでは? そう思ったからです。

直ぐに飛行機のチケットを検索しました。ただ翌日の飛行機だとものすごーーーく高いです。

ジムはこういう場合、つまり身内に不幸ができて、直ぐに飛行機で飛ばなくてはならない場合の特別価格があるはずだっていうのです。 え? そんなの聞いた事ないけど・・・・? 英語でBereavement fare というそうです。

この単語、発音も難しくて、とても電話で聞けそうになかったので、ジムにお願いしました。 エアラインに直接電話して、そういう特別料金があるのかどうか聞いてもらう事に。

まずはユナイテッドに電話をしましたが、数年前まではあったそうですが、そのシステムは無くなったと。 
次、デルタ。
デルタエアはこういう場合の特別料金なるものがあるって! 

電話口でジムが全て手配してくれました。 翌日の飛行機です。 もう直行便は取れなくて、シアトル経由です。 ウェブ上で見るとサンフランシスコ、シアトル、羽田で3000ドルします。 ですが、このチケットを2100ドルにディスカウントしてくれました。出発が早朝5時50分なので、家を夜中の2時半には出なくてはなりません。
条件は、亡くなった人との関係、老人ホームの名前と住所 これらを電話で伝えるだけでした。 特に死亡証明書とかを提出しなさいっていう条件はありませんでした。

続いてジムの飛行機も手配しました。 こちらは私のチケットより300ドル高かった。 なぜなのか? 元のチケットの値段が高かったのか?
とにかくジムは黒のスーツをレンタルしたり、ロキちゃんを預けたり、色々やらなくてはいけない事があったので私の出発の2日後に日本に向けて出発する事に。 ジムは告別式の前日に日本に到着です。


私はどのくらいの日数日本に滞在すべきなのか? ちっとも検討がつかず、ですが、デルタエアのこのチケットは変更可能だというので、とりあえず2週間の日程で帰りの便を手配しました。 ジムは3泊4日の弾丸飛行です。

母が息を引き取ったのが日本時間の6月12日の午前11時半頃・・・・・。この日の朝、脈がみだれて、朝食を食べなかったそうです。 ですが、脈が元に戻ったのでランチは食べられそうだというので、ダイニングまで行き、ゼリーを2口食べさせてもらった、その後・・・・・。
気がつくと息をしていなかったと・・・・・。

ゼリーを喉に詰まらせたわけでもなく、車椅子から転げ落ちたわけでもなく息が止まってしまったと。


最後に会ったのが今年の3月でした。 99歳の誕生日を姉と一緒にケーキを食べて祝いました。 来年の春は家族を呼んで、100歳の誕生日をしようねって約束しました。 

2017年の5月からこちらの老人ホームにお世話になっていた母、7年間病気らしい病気もせず(コロナには感染しましたが、無事に回復)元気に過ごしていました。 最期も病気ではなかった。 ただただ老衰として身体の機能がストップしたのです。
こんな最期を迎えられる人はそう多くはないでしょう。 

母が苦しまずに天国に行けた事が何よりです。 ただ、ありがとう、の言葉を直接言えませんでしたが。

告別式は家族葬で10名のみのお見送りでした。 エンディングノート、母と一緒に泣きながら書き込んだのですが、その大事なノートが行方不明。 ただ、お棺の中に何をいれてほしいですか? という問いに母が「私が作った動物達を一緒に入れて欲しい」と言っていたのを覚えていた私は老人ホームの部屋に飾ってあった手作りの人形と動物達をお棺の中にびっしりと詰めました。 
これなら寂しくないね! と言う程に。

告別式の後は続いて初七日の供養を、そして引き続き出棺して焼き場に移動して荼毘に伏せました。 あっと言うまに全てが終了です。
初めての仏式の葬儀に参列したジムは時差ボケの中、着慣れないスーツを来てさぞ疲労困憊だったと思います。 ですが、ちゃんと私の連れ合いとしての役を果たしてくれました。 涙がでる場面では必ず隣に寄り添い肩に手をまわしたり、一緒に長い箸を使ってお母さんの焼き上がったお骨を骨壷に収めたりと・・・・・。 カルチャーショックを受けたんじゃないかな? 

翌日は何も予定がなかったので、ジムの慰労を兼ねてなにか美味しいディナーでも? と考えた私。椿山荘で「蛍を鑑賞できるディナー」というのをみつけ、一緒に出かけました。 蛍はピークを過ぎていたので、いっぱいは見られませんでしたが、薮で数匹が光っているのが見えました。 バッフェのディナーも美味しかった。 

翌日、ジムは町田のホテルをチェックアウトして、すぐ側の町田バスターミナルからリムジンバスに乗り、羽田へ。 帰りもシアトル経由でサンフランシスコへ。 ロキちゃんを預けていた犬舎にお迎えが間に合わないので、息子に頼んで迎えに行ってもらったようです。

ジムがアメリカに戻った後、私は引き続き同じ町田のホテルに滞在して告別式からちょうど1週間後の日曜日、お寺にお願いして49日の供養と納骨を前倒しで行ってもらいました。 私がアメリカに戻ってしまうから、という理由でです。

天台宗の山口家のお墓のお墓は父が亡くなった時に建てたもので、30年間、父は1人だったわけです。 長かったね・・・・。  そう思うとすごい事だって思います。  父が亡くなった後の母の生活は洋裁が全てでした。 布おもちゃというサークルに参加して、次から次へと布をおもちゃを作っていました。 お友達もたくさんいたようです。 ボランティアで布おもちゃを作っていたので、市から表彰された事もありましたっけ。 

兄の学校の卒業式のガウンを縫ったり、雑巾を縫ったり、色々貢献してました。 

母の老人ホームの部屋を片付けした私は、宝石箱の中のジュエリーや最後につけていた指輪などを手にとって、なんだかちょっと悲しい気持ちになりました。 母は高価なジュエリーを持っていなかったな〜って思ったからです。 
洋裁をする時の器用な母の指は太くてずんぐりむっくりで、指輪が似合わないって何時も自分で言っていました。 だからいつだったか母の日に兄と相談して、『ダイヤの指輪より指抜きの似合うお母さんへ』とメッセージをつけて18金で特別な指抜きを作ってもらいプレゼントしたのです。
それだけです、私が母の形見として貰いたいと思えたのは。 母が3度のご飯より好きだった洋裁。 その時に使っていた指抜きです。 何よりの母の肩身です。

数えきれない程の私の服を作ってくれました。私がアメリカに行った後、頭が痛くてどうしようもなかった時、国際電話で、「かわいそうにね、できる事なら変わってあげるのにね。。。。」 と言ってくれた母。 一時帰国を終えアメリカに戻るとき、リムジンバスのバス停まで何時も見送りに来てくれて、何時までもバスを見上げながら手を振っていた母。

私を産み、育ててくれた人、お母さん、ありがとう。 天国でお父さんに寄り添っていますように。


最後に会ったのが2024年3月27日でした。







2024年6月11日火曜日

グリーンカード 2度目の更新

4月の9日にオンラインで更新手続きをした私のクリーンカードですが、スコットランド旅行前に指紋採取の連絡が来ないので、心配してました。 ですが、指紋採取は前回行った物を再利用しますから指紋採取に来なくても良いですよ〜って言うお手紙を頂戴したのでした。

なんだ、そうなの? ハンドクリーム買って、指紋がよく見えるように準備してたんだけど、そうなんだ、行かなくて良いんだ〜!
って喜んでいたのです。

で、2週間のスコットランド旅行の間に私書箱に新しいカードが届いていました! アメリカもやるね〜。 やればできるね〜!
だって、コロナ禍でグリーカードの手続きが遅れていて更新手続きをしても12ヶ月以上掛かるかもしれませんっていうおふれが出ていましたから。 コロナが収束して、一気に挽回できた様です・・・・・。
とにかく2ヶ月で新しいカードが手元に届きました。

普通なら指紋採取に行く時に一緒にカードに掲載される顔写真も撮影されます。 え? 指紋採取に行かなかったから、前回の10年前の写真を再利用するのかい? 私は意義ないですけど・・・・・思ってました。 だって、若い写真だもの。

で、新しいカードの顔写真はどうなってるか? 興味津々だったのですが、どうやら去年の2月にパイロッ トトレーニングを受けようとしていた時に指紋採取に行って、その手続きの際に顔写真も一緒に提出していた様です。 忘れていましたが・・・・・。

その写真がFBIのファイルに保存されていたようで、それがカードに使われていました。 なんだか凄くボヤけてますけど。

やれやれ、2度目の更新は無事 終了しました。 今度の更新は2034年の5月19日です。 74歳になってるって事ですね。 は〜〜〜。


2024年6月10日月曜日

スコットランド 写真 NO.6

6月4日、スコットランド最後の1日は晴天に恵まれ、私たちは最初に2泊したエディンバラの同じホテルに戻りました。

最後の1日はNational Wallace Monument, を見学し、その後最初にエディンバラに到着した時にチケットが取れずに入れなかったエディンバラ城へ(オンラインで予約しました)。 も1つおまけに馬の巨大オブジェを見学。
最後の夜、私は4回目のムール貝の酒蒸しを食べました。 これ、相当美味しかったです。 だから4回も食べました。

スコットランドの英雄として有名なのがWilliam Wallace 
そう、俳優のメルギブソンが主人公Wallace を演じたBraveheart 、この映画、私の好きな映画の1つなのですが、帰ってからすぐにもう一度この映画を見直しました。 National Wallace Monument にはウォレスが使っていた剣が飾られていました。
ウォレスのモニュメント

ウォレスの剣

エディンバラ城

エディンバラ城の中


相当大きいです







ムール貝




事故や病気に遭わず、片頭痛もおこらず、失くした物も私のアイマスクだけで、無事旅行が終了できてうれしいです。
喧嘩もしなかったね〜。 

バケットリストの1つであったスコットランド旅行が終わってしまったのがなんだか寂しく感じます。 
まだ、この先、バケットリストは幾つ残ってましたっけ? 
ジムが行きたいって言っていたトルコ、私が行きたいって言っているエーゲ海、それから・・・・・・できたらもう一度動物を見にアフリカに行きたい! 

旅の途中で友達の訃報を受け取って複雑な心境の旅でしたが、今度日本に帰った時にお墓参りをしたいと思っています。












スコットランド 写真 NO.5

スターリンという街は石畳が印象的な綺麗な街で、1時間ちょっとのウォーキングツアーに参加しました。 そしてツアーの後はいよいよキャンベル城へ向かいます。

最後の夜はお城のホテルへ泊まりました。 スコットランドは食事がイマイチかも? って言われていたので、それなりの覚悟をして行ったのですが、なんのなんの、ほとんどのレストランがアメリカのそれより繊細な味付けでとても美味しかったのです。 この最後のお城ホテルのレストラン以外は・・・・・です。

スターリンの街を歩きました



キャンベル城へ

キャンベル城

これ、お城の中にあったトイレです

天井に彫られた彫刻


キャンベル城にて


















最後に泊まったお城のホテル

広くてなかなか良いホテルでした