2025年8月29日金曜日

ビーフロール 野菜の牛肉巻き

 昨日はジムの皮膚科の定期検診でした。 半年に一度、スキンキャンサーチェックに行っています。 スコットランド系アメリカ人ですから皮膚が太陽に弱いんです。 ジムのお姉さんもしかり。

半年に一度皮膚科のドクターに全身を診てもらって、怪しいと思われる箇所をドクターが窒素のスプレーを噴射します。 皮膚がんになりそうな箇所です。

昨日は10箇所以上、噴射されてましたよ。 首の所が特に。 噴射されている時は結構痛いのだそうです。 この噴射では撃退できない程に進行している場合は切開して切り取ったりします。 癌なのか見分けがつかないときは生体検査。 これも局部をカットされて・・・・結果待ち。

昨日は窒素スプレーだけで済んだのでちょっと安心。 また半年後にチェックです。

帰り道いつもと違う道をドライブしていたらジムが突然、この辺に確か肉屋さんがあったはずだけど・・・・と言い出しました。 ありました! 今まで行ったことのないブッチャーが。 お店に入ると店員さんが「いらっしゃい! 今日はどんなお肉をお探しで〜!」 と声をかけてきました。 ジムは颯爽と、「薄切りのビーフが欲しいんだよ、ほら、Japanese Cuisine でよくあるでしょ? 薄切りのビーフで野菜を巻いたりしてさ・・・・。ある程度マーブル状の肉じゃないとダメなんだけどね。」 

するとタトゥーの入った定員さん、メキシコ系のおじさん、じゃこれはどう? とステーキ用のお肉を指さしました。 でもジムはイヤもうちょっとサシが入ってないと・・・・。 じゃ、これは? リブロースを指さしました。

いいね、これ薄切りにできる? 

骨付きなのでね・・・・・。何パウンド買ったら骨を取って薄切りにしてくれるのかい? 4パウンド!(1.8キロ)(300グラムで一回分なのに〜〜〜〜!)


私はサンノゼの日系スーパーに行くたびにしゃぶしゃぶ用とかすき焼き用とかいうお肉を買ってビーフロールを作るんです。 それを地元のブッチャーで再現できないものか? と考えたジム。 そんな事夢にも思わず、ステーキ肉でも買うものと思っていた私、びっくりです。

普段は15ドルくらいで300グラムくらいの薄〜〜〜いお肉のパッケージを買ってそれをアスパラやインゲン、グリーンオニオンに巻き付けて最後に麺つゆで甘ジョッぱく煮詰めて仕上げるのですが、それを4パウンド!!!! 

半分はステーキ用に厚切りにできないの? と聞いてみましたが、だめ。

結局、お値段100ドル。

家に持って帰って包みを開けてみたら確かに日系スーパーと同じくらいの薄切りにカットしてくれてましたが、それがくっついて塊になってた。

一枚一枚剥がした私は、今夜はビーフロールを作るにせよ、あとの残りはどうやって冷凍させるのか? 

お菓子作り用のシートに一回分ずつ薄〜〜〜いお肉を広げて3食分、まな板の上に乗せて真っ平になるように凍らせました。 凍らせたは良いけど、解凍した時に薄切り肉がちゃんと剥がれるのか?

その夜出来上がったグリーンオニオンのビーフロール、ジムが唸りました。

やわから〜〜〜い、美味しい! 最高だね。

いやいや、どんだけ時間かかったと思う? これお肉を剥がすのに・・・・・。

苦労した甲斐あって、プライムリブのお肉は柔らかくて凄く美味しいお肉でしたよ。 よかったわ。

ブッチャーのおじさん、ジムがどんな風にこのお肉を調理するのか興味深々で、出来上がったらサンプルを持ってきてよ! って言ってましたね。確かに上等なお肉を紙みたいに薄切りにして食べるのはアメリカでは考えられないものね。

写真撮るの忘れた〜。

2025年8月26日火曜日

アプトスマウンテン & Aromas Day

 股関節手術から3ヶ月が経過して地元ホスピタルでのリハビリも16回を終了し、完全にリハビリを終えました。 とはいえ、家で毎日行うエクササイズ、毎日2セット行ってくださいって宿題を出されました。 これ毎日2セットやったらすごいな〜って思う内容です。

そもそも保険でカバーできるリハビリがカレンダーイヤーで16回なのだそうで、それ以上は実費になるそうです。 

保険の明細を見たところ莫大な費用が請求されていてびっくり。 保険がカバーしてくれるから私は全く支払う必要はないのですが、今年12月までは事故や手術でリハビリが必要にならないことを前提に全部使い切りました。

土曜日の午後、運動不足な私達はアプトスマウンテンに出かけてトレイルウォークをしました。 お昼寝ばっかりしているロキもトレイルに入ると俄然元気になってあちこちクンクンして私達より元気に歩き回ります。 40分登って40分かけて戻ります。 夕方でもマウンテンバイクでトレイルを走る人達が多いので、注意が必要です。 ロキちゃんがウロウロしてバイクにぶつからないようにです。

以前はこのトレイルをマウンテンバイクで走ったり、2人乗り自転車で走ったり、1時間以上走ったりしてました。 今ではジムも私も歩くのが精一杯。

歩いた後は家に戻らずに2人の大のお気に入りのお店でディナー。 以前10キロ走っていた時も帰りにこのお店でキーライムパイを食べるのを楽しみに頑張りました。 このお店、とにかく全てが美味しいのです。 デリとペストリーのお店です。 

私はこの日大好きなミルフィーユを! 半分お店で食べて半分持ち帰るのがベスト。 スプリングサラダ、キヌアサラダ、JIMは自家製バーガーをオーダー。このお店の近くに引っ越してきたいほど美味しいです。

24日はAromas Day という年に一度のイベントが開催されロキを連れて行ってきました。 え? アロマスってこんなに人がいっぱい住んでたっけ? と思える程の人出でした。 アロマスの人口を調べたところ2800人。 近隣から来ている人もいるのかな? とにかく家族連れ、ワンコ連れの家族がドット押し寄せてきて驚きました。 

アロマスっって小さな小さな郵便局がある辺りがダウンタウンと呼べるのか? 瞬きしたら通り越してしまう程のダウンタウン。 レストランが一見、ガソリンスタンドが一軒、コンビニらしきものが一軒あるだけなのですが・・・・・。

この人混みは!!!! アロマスの一大イベントです。 結婚24年目ですが私、初めて参加しました。 主な出店はガレージセール的なお店が多かった。 地元でビジネスをしている人がビジネスカードを配りながら仕事の紹介をしているブースも。 ジムは早速、プランミングの専門家と話をして我が家の温水装置を新しくする相談をしてました。 近頃熱いお湯が出なくて私がブーブー言っているからです。  

周りの人達を見ると小さなトレーラーみたいな物を持参している人が目立ちました。 買ったものをそれに入れて運ぶためです。 なるほどね、みなさん、慣れてる。安く買ってオンラインで売るんだよ、ってジムが言ってました。

私達はひまわりのブーケだけ買って家に戻りました。 初めて地元の住民になった気分を味わった一日でした。












2025年8月19日火曜日

ジャイロが売れました❣️

 2023年2月にNYでの生活に終止符を打った私たちはカリフォルニアの家に戻るまでの道筋でパイロット免許のトレーニングをスタートしました。 


スポーツパイロット免許と言って、何十時間かのフライングレッスンと筆記試験、そして最後には単独飛行テストがあって、これに合格したらジャイロで自由に空を飛べる! これがリタイアしたらやりたいって思っていたジムの長年の夢だったのです。

とにかく、このジャイロプレーンに関わった2023年3月から2025年8月までの2年と5ヶ月、何がどうしてこうなった? と思える程、ジャイロ悪運に見舞われた私達でした。 

テキサスでジムは中古のジャイロを購入しました。 何故かって、最終テストを受ける時にインストラクターのジャイロを借りてテストを受ける事はできないのです。 どうしても自分でジャイロを所有しなくてはならない。
それで仕方なく中古のジャイロをテキサスで買うことになったのです。

そのジャイロがダメだった・・・・・・。 
前のオーナーさんはちゃんと飛んでいたと思うのだけど、ジムが買い取った後から次から次へと問題が発生。 悪夢だった・・・・・。
1つ直したと思いきや次の箇所が壊れる。 それの繰り返し。
2024年1月、年に一度の定期点検でエンジンがおかしい? と言われ、ジムはエンジンだけを取り外し、10時間以上運転してエンジンのスペシャリストまで診てもらいに行ったのです。 
で、結果は特に問題なし。

また10数時間以上かけてエンジンを持って帰り、ジャイロに設置。 レッスンを再スタート。 こういう場合、まずはインストラクターが1人で点検の為のフライトをします。 お直しの後だから。 で、その飛行は問題なしでした。

じゃ〜いよいよレッスン再開、となってジムが運転席に、インストラクターが後部座席に座り飛び立った。 その後に空中でエンジンがストップ。
ジムのジャイロは空中数百メートルで動力を失ったのです。

幸いインストラクターが後部座席から運転をスイッチして草原に不時着できたので大事故にはなりませんでしたが、危機一髪でした。
このアクシデント、後で分かった事は人的ミスだったと。 エンジンのスペシャリストのミスだった。 (なので無償で直してくれましたよ)

これが2024年の10月。 これを機にジムはジャイロのトレーニングを断念するって宣言しました。 

それからジムのジャイロはレッスンを受けていたペタルルーマ市民空港のハンガー(飛行機の駐車場)に置かせてもらいながら、売りに出したのです。 フライトレッスンをしているスクールに依頼して買手を探してもらい、手数料を払うと・・・。 
ところが誰も買い手が出てこないのです。 スクール側はもう無理だから引き取ってくれって言い出す始末。

2025年7月末までにジャイロを移動させて欲しい。 フライトスクール側だって一台のジャイロを置いておくだけのスペースを維持するのは大変なのです。 他の空港にあるハンガーに移動させなくてはならないとすると、毎月何百ドルもの費用がかかります。 (これまでずっとタダで置かせてもらっていたのはラッキーでした)。
色々な空港のハンガーを探しましたが、お手頃な場所は見つからず・・・・。 
もう、どうするのよ〜って叫びたい気分でした。まさか自分家の庭に転がしておく事もできないのです。 

あまりにもジムがのんびりしていて、行動に移さないのを見ている私はイライラ。 クレイグリストに載せたり、フェースブックに載せたりしましたよ。 一度だけクレイグリストから反応があって・・・・。 でもこれは完全な詐偽の手口だと直ぐにわかりました。 購入しないけど、毎月レンタル料として3000ドル払い、5年契約って。 いくらなんでもこれにひっかかる人はいないんじゃない?




















2025年8月3日日曜日

ロキちゃんと撮影会

現在我が家の2階の一部屋はロキの遊び場兼、私のソーイングルームになっています。
ロキはもう10歳ですので、外で遊ぶよりカーペットの敷かれた2階のお部屋で遊ぶ事を好むようになりました。 外に出てボール投げをしてもすぐに辞めちゃうんです。 ボールが遠くに転がりすぎると取りに行かないし・・・・・。 フローリングではなくてカーペットの上でオモチャを投げてもらって遊ぶのが快適なようで、2階のお部屋に行きたがります。 
おもちゃがいっぱい転がってます。

遊んだ後に撮影会しました。 ハグハグタイムです。













2025年7月22日火曜日

洋裁 と 母

母は1925年生まれ。 終戦の時に二十歳でした。 凄い時代に生まれ育った母ですが、終戦後母は紳士服のお店で働いていたそうです。
もっとその時の話を聞いておくべきでした・・・・・。
母は親から大学に進学する事を薦められていたそうですが、それが嫌で洋裁の道を選んだようです。 

紳士服作りを学んだ母は本当に洋裁のプロでした。 私が生まれる前には父のビジネススーツ、幼い兄にはボタンダウンのシャツやらショートパンツやら、作っていた様です。

ですが、約7歳はなれて私が生まれると、母の洋裁への情熱は全て私に集中しました。 覚えている限り、父の服や兄の服を作っている母を見たことがありませんでしたから。

幼稚園生だった頃に母が作ってくれたワンピースやスカート、今でも覚えています。 年に一度のピアノの発表会でも母は気合を入れて舞台衣装を作ってくれましたっけ。 
母の着せ替え人形だったのです。 スパンコールを縫い付けたワンピース、フリフリのついたスカート、母にとって私の服作りは生き甲斐そのものだったと思います。 
装苑とかドレスメーカーという洋裁の月刊誌を良く母は買っていました。 そこには子供服の写真とその製図方法が載っていました。 その月刊誌を見て次はどれ? って決めてました。 つまり製図から母はやっていたって事です。

小学校3年生の時に世田谷から相模原に引っ越しました。 で、家の近くに東京のデパートに下ろしたりする子供服を縫っている小さな縫製所があって、母はそこでミシンのパートをする事になります。 9時から5時まで。 歩いて5分もかからない所だったので、お昼休みは家に戻ってランチを食べ、また仕事場へ。 
小学生だった私はランドセルを背負ったまま、家ではなく母のいる縫製所に帰る事もしょっちゅうでした。 母が糸を切ることなく次から次へとミシンをかけるので、私は母のミシンの隣に座り、糸きりバサミを握り糸切りを手伝い、午後5時になるのを待ちました。

その縫製所、おじいちゃんとおばあちゃん、それに若夫婦が経営していたのですが、その若夫婦には男の子が2人で女の子がいなかったのです。 で、縫製所のお婆ちゃんがたいそう私を可愛がってくれて、ただいま〜って帰ると、家の中まで招いておやつをくれました。
3年生、4年生の頃です。 時々、サンプルの服を「朋子ちゃん、お願い、これ、着てみてくれる〜!」 とお婆ちゃんにせがまれ、モデルをする事もありました。 

若社長さんは反物から布を裁断するのですが、それをちょっとずつ、ちょっとずつ型紙をつめて裁断すると予定数の服より、1着、2着、多く仕上がったりする事が良くありました。 すると、お婆ちゃんは内緒ねって言って私の母にそれをくださったのです。 

そうでなくても残った生地やらボタンやらを貰えるのが母にはとても魅力的だったと思うのですが、デパートで買ったら、かなりのお値段になるはずの子供服を随分いっぱい頂いてました。

と、言うことで母は9時から5時まで7時間ミシンを踏んでいたわけですが、家に帰って夕食が終わってからは、自分のお楽しみ、洋裁の時間をずっと続けていました。

次に何を作ってもらうかを決める私には、アイディアが浮かばない事も度々で、大学生の頃に、スイングトップというジャケット(ジャンパー)を縫ってもらったのですが、それがとてもカッコよくて、次は何? って言われて、じゃ、同じ形で違う色! とお願いしたのです。 結局、スイングトップは赤、青、薄緑、そしてフェイクレザー、と4着も出来ちゃいました。

同じ型紙で同じ物を作りたくなる気持ち、今の私には良くわかります。

パートで7時間もミシンを踏んでいるにも関わらず、家に帰っても、洋裁をし続けた母がどれだけ洋裁が好きだったかが分かります。

私が家を出てからは兄の運営する幼児教室の教材を布で作ったり、幼稚園ができてからは幼稚園生の卒業式用のマントを縫ったりしてました。 

父が亡くなってからは相模原市の布おもちゃのサークルに参加して布のおもちゃやら人形やらを作って子供達を遊ばせていました。 市から表彰されたりしてましたよ。

晩年、母が年老いてから、「貴方を育てている時が一番楽しかったわ〜。」 と呟いた事がありました。 

4人の姉妹の中で一番器量が悪いと自分の祖母から言われ続けて劣等感の塊みたいな青春を送った母でしたが、思い通りの服を次から次へと作って私に着せた母の子育て時代はそういう意味では楽しかったのかなって思います。 

私が20代でもの凄く太ってしまってから、母はそれをもの凄く嫌がりました。 そりゃそうです、自分の服を着てくれるモデルが太ってしまってはダメなんです。 スッキリカッコよく着てくれないと。

洋裁の楽しさが今また芽生えてきた私ですが、シャツがやっとできる位の腕。 ファスナーの付け方なんて忘れてるし・・・・。
母の足元にも及びません。もっと教えてもらっておけば良かった。

今は自分のシャツとジムのシャツ作りを楽しんでます。 布選びもオンラインでできるし、すっごく楽しい!















2025年7月18日金曜日

洋裁 熱

ソーイングがしたい! っという切なる欲求が湧き上がってきて今夢中になっています。

オンラインでパターンをPDFでダウンロードしてそれを自分の家のプリンターでプリントします。 上手くできているもので、レターサイズで印刷してそのまま紙のエッジを切る事なく、ラインにそってテープで繋いでいくと実物大の型紙になります。 全部で25ページ程になってしまいますが・・・・。
よく出来ているなって思うのは1つの型紙を購入するとあらゆサイズのラインが色違いで一つの画面に出てきます。 これだと自分のサイズのラインを辿ってカットするのは容易ではありません。 アクロバットリーダーのレイヤー機能を活用して、自分以外のサイズのラインを見えなくするのです。 つまり自分以外のサイズのラインを非表示にする。 すると、自分のラインだけになって印刷、カットが簡単にできるのです。

だけど、私のiPadでこのレイヤー機能を使おうとしたらダメでした。 アクロバットリーダー、iPad上ではレイヤー機能が使えないのだそうです。 それが分かるまで結構時間を費やしてしまいました。
今はパターンをプリントする時はジムのラップトップを使わせてもらい、プリントしてます。

先ず最初にコットンとリネン混紡の生地で私のシャツを作りました。 色々パターンを検索して、アロハシャツタイプを探しましたが、どれも好みのタイプではなく、最終的に辿り着いたのがラグラン袖のシャツの型紙でした。
これを購入して、ダウンロード、カット、そして一度洗濯した生地を裁断しました。ラグランスリーブってカッコいいのだけど、襟つけが結構難しいです。

何十年ぶりの洋裁。 大学を卒業した私は就職せずに昼間アルバイトして夜、文化服装学院に行きました。 あの時の若かった自分がなんだ懐かしい・・・・・。 
とにかくカッカカッカとエネルギーがありました。 昼間8時間バイトをして、夜は洋裁学校。 で、その洋裁学校が楽しかった〜〜。
楽し過ぎて、楽し過ぎて、夜寝る時間も惜しんで、絵を描いたり宿題をしたり、なんかこう〜学芸大での学生生活の鬱憤を晴らすかのように、洋裁学校のプロジェクトに没頭してました。 私の道はこれだ〜〜〜! とばかりに。

あまりにも没頭し過ぎて、1週間で20時間くらいしか寝てなかったんじゃないかな? 

その結果、なんと、私、身体を壊しました。 自律神経失調症です。 電車に乗るのも辛い。 立っているのも辛い。 医者に行ってもどこも悪くないって言われるし・・・・・。 そんなはずがないのに。 生きた心地がしませんでした。 足が地面についてない感じ。

そんなふらふらな状態が数ヶ月続き、で、ヒョンな調子に体調が戻ったのです。 何が引き金だったのか? とにかく普通に戻った。
もう2度とあのフラフラ状態にはなりたくないってそう、強く思いました。 今思えば、昼と夜が逆転したような生活でしたし、タバコも吸ってたし、寝てなかったし・・・・。 自分の体力を過信して身体が悲鳴を上げたのです。  23〜4歳の頃、自分の体力の限界を知りました。

文化では木綿のワンピース、シャツブラース、そしてスーツの縫い方を学びました。 製図の仕方も習いましたが、全部忘れました。

今何が作れるかって言われたら、シャツくらいです。

で、40年ぶりに洋裁がしたくなったのです。
これまで勢いで自分のシャツを3つ、ジムのシャツを1つ完成させました。
久しぶりのミシンだったので、色々問題に遭遇。 針や糸の太さだったり、糸調子だったり、ジグザグミシンの調子だったり・・・・。
感を取り戻すのに、しばらくかかってしまいました。

第一作目、これは日本製の生地でコットンとリネンの混紡。 すったもんだの末にやっとできた! だけどこれ、出来上がりがピシッとしてて形が綺麗。

選んだ型紙の大きさがちょっとだけ小さいような気がするのです。 ピッタリしてカッコいいのだけど、アームホールがちょっとだけ小さい気がして・・・・。
二作目は1つサイズを上げました。

生地はオンラインで見つけたコットンポプリン。 この生地は薄手でシャツにはベストかなって思ったのだけど、シャキシャキし過ぎ。
なんだか身体に馴染みません。

2つ作っちゃいました。 3つ同じ形のシャツですが、3回やっても襟のところ、見返しが上手くいかなくて、まだ満足していません。

こちらのモンキー柄を裁断し始めた時にジムが私のところにきて、なんだかモジモジ・・・・・。
「モンキーは嫌いなんだけど、これってもしかして僕の?」と聞いたのです。
次のシャツがモンキー柄で、自分のシャツだったらどうしよう!って考えたようです。
「心配ない、これ、私のだから。 あ、あなた申年生まれだったわね、バッチリじゃない、あなたのシャツもこれで作ろうか?」って言っておきました。


これ、すっごく可愛いです、 今のお気に入り! 襟はまだ満足してないけど・・・・・。


で、4作目にジムのシャツを縫いました。 これは違うデザインの勿論、男性用。
で、ここで問題が。

ジムのウエストサイズが異常に大きいのです。 ウエストサイズに合わせると、着丈も肩幅ももの凄く大きくなってしまうのです。
かと言って、ウエストサイズを小さめに選んだら、このストレッチしない木綿では座った時にお腹のボタンが飛んでいってしまいそうだし・・・・・。
着心地が悪いと、絶対に着てもらえない。 そう思った私はウェストのサイズで型紙のサイズを選びました。 なんと3X。

恐れていたことが・・・・・。 巨大なのです。 出来上がりが。

やっぱりもう1つ小さいサイズ2Xにしておけば良かった。

とにかく出来上がってしまったので、これはたぶん、クローゼットの肥やしになる覚悟です。

ジムはあまりに肩のあたりが大きいので、お茶らけています。 「はいはい、どうせ気に入らないから着てくれないよね。 私のパジャマにするからいいです!」って私のクローゼットに入れようとすると・・・・・。

私が機嫌を損ねて怒り出すのを恐れたジムは・・・・・。
「いや、これは凄くいいシャツだと思うよ。 ただ僕は洋服に関して疎いからさ・・・・・。どう評価していいのか・・・・。」だそうです。

とにかくもう1つ小さいサイズで次は少しストレッチ素材が入ったもので作ってみようかと思います。

これ、身長が180センチ以上の男性が着たら凄くかっこいいはず!

母が次から次へと洋裁をし続けたあの気持ちが今少し理解出来ます。
だって、楽しいんだもん












2025年7月9日水曜日

股関節手術から2ヶ月経過

明日7月15日で股関節手術からちょうど2ヶ月が経過します。 
現状は? と言うと・・・・・。 朝、晩、まだびっこひいてます。 歩行、車の運転は問題ないのですが、ずっと座ったままだった後、立ち上がると足がもつれてちゃんと歩けません。 ロキの散歩は毎日ジムと一緒に行ってますが、帰り道はスピードが落ちて、歩くのがゆっくりになってしまいます。 特に上り坂はキツイ。
靴下を履くのも右足はできません。 爪切りもできません。 つまり膝を胸に近づける動作ができないのです。
靴下を履くためのキット、買っておいて大正解でした。 昨日はジムが履かせてくれましたが、毎日お願いするのは流石に気が咎めるので、自分で履いてます。

一昨日のリハビリでは急にメニューがバージョンアップしたのか? 新しいメニューが加わり、よりハードなエクササイズになりました。
いつもは35分程度で終了するのに、この日は55分。 ずっと運動してました。 汗かいた。 足首に900グラムの錘を付けられてテーブルの上に横たわり、片膝をまげ、片足を膝の高さまで持ち上げる運動だったり、片足をあげて一本足で30秒バランスをとるエクササイズだったり、これって何かの罰ゲームですか? って思っちゃう。

リハビリは全部で16セッション、保険がカバーしてくれるとのこと。 10回でストップして、残りの6回は今後12月末までに何か起こった時の為にとっておくか、今回全部使い切るか? という選択があったので、私は全部使い切ることにしました。 だって、もうこの先手術の予定はないし、怪我だってしないもの。

術後2ヶ月が経過してもこんなにまだ不自由なの? って思ってしまいます。 朝、夕方、痛いから。
一昨日はジムとロキ、3人でレッドウッドマウンテンを1時間半歩きました。 この時は朝、ちょっと痛いなって思っていたので痛み止めを飲んで出かけたせいか、全然痛みを感じずに9000歩くらい歩くことができました。 このトレイル、20年前はジムと2人、走ってたんだな〜って思いながら。 20年経つと、人間の身体ってこう変化するんだな〜。 歳をとるっとこういうことなんだな〜って思いながら。


とはいえ、まだまだこの先この身体で生きていくわけですから。 筋肉を維持しながら怪我しないように。

最近発見したこと!

術後、血圧が80台/40台 まで低下してしまう事があり、水を飲む事を心がけてました。 1日2リットル飲むんです。
これ、以前も試してみたのですが、なんせ2リットルって凄い量で、お腹がタプタプしてトイレばっかり行く羽目になり断念していました。 ですが、今回こまめに給水して夜7時までに2リットルを飲む習慣が定着してきて、すると不思議な事に自分の身体が水を要求していることに気づくようになったのです。

で、もっと驚いた事に、体重がジワジワと減り出した! 今まで何をトライしてもビクとも減らなかった体重が、2リットルの水を飲み始めてからジワジワと減ってきてます。 リハビリで筋肉量が増えている事も影響しているのか? とにかく3食、しっかり食べても体重が増えません。 それも好きなもの食べてるし。
これには本当にびっくりです。 ただ外出する時やドライブする時には水を飲み続けるとトイレの心配がありますが・・・・。
特に起床後、身体が水を欲している事に気づくようになって、午前中に1リットル飲み終えるようにしています。

久々の57キロ台の体重になってきたぞ〜〜〜! 

お水2リットルとタンパク質。 これで理想体重を目指したいと思います。

久々のトレイルで目をキラキラさせてハッピーなロキでした。